手段の目的化は誰のため?
2017-11-27



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時計を売って彼女の長い髪につける髪飾りを買ったのに、彼女は自慢の髪を売って時計の鎖を買った。「賢者の贈り物」オー・ヘンリー。すぐ調べることができてネットは便利。


この話が賢者であるかどうかの議論は置いといて、ふとしたきっかけで思い出した。




使わないカメラ売っちゃおうかな。カメラを売って運転資金にしてると、いずれ1台も無くなったりして。そうならないように今ある道具で精いっぱい稼がなきゃ!


順当な考え方に聞こえるけど、ちょっと首を傾げる。


今の状況に環境が合ってないかもしれない。だとしたら早く売って早く改めたほうが良いのでは?


今の環境を維持しようと張り切るのは大切。けどそれ手段を目的化するだけかも。筋の通ったものが一本あればいいけど、無いと目先しか見えなくなる。




旗揚げは必死だったのに、第2回公演からは来てくれた人にDM送るだけ。新規開店の時は必死なのに、お客さんが増えると常連さんの顔だけ見て経営するように。


「続ける」が目的になると本来の目的を見失う。他者を結ぶ場、居心地の良い場所の提供じゃなかった?暮らしの潤いや癒しになることの喜びじゃなかった?


そう考えると公演やお店の営業を続けるのも、どこに視点を置くかが重要になる。「続ける」じゃなく結果として「続く」と気付く。





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