うまい写真でなぜ悪い!?
2017-06-07



禺画像]


写真学校1年生。
自分の写真を撮りたくても、自分のやり方をしたくても「ネオパンSSとミクロファイン」フィルムも現像液も印画紙も指定。それどころかレンズは50mm指定。「ズームの人はアロンアルファで留めるから前に持ってきて!」なんたるちあ!冗談でした。
 
「好きな写真を撮って来て講評とか無いんですか?」「そりゃ後期だね」その通り。夜間クラス週3回の授業。前期は「暗室現像」「スタジオライティング」「4x5大型カメラ」大型カメラって今どきやる意味あるの?
そのときは目的が何なのかわからなかった。今はわかる。視る訓練だ。
 
 
後期開始。
大型カメラの授業が終わり、「自分のカメラで写真を撮って来て講評」に内容が変わる。やっとスタート位置に立った感じ。毎週「お題」が出て、それを聞いて写真を撮ってくる。
最初は「運動会」だった。「会社でも町内でもいいから運動会、撮ってくるんだよ」
 
言われたとおり運動会を撮ってきた。僕はサンニッパを借りて知り合いの小学校に行き(当時まだそれほど厳しくなかった)、次々に写真を撮った。かけっこ、騎馬戦...動く被写体を追うのは楽しく、サンニッパは迫力ある写真を作り出していった。
現像してジャスピンが来たネガを焼く。プリントサイズは規定の六切。今のA4程度だ。

みんなの写真を前に並べ、先生が黙って1枚ずつ全部見る。(ほめられるかな、どこを注意されるかな...)何を言われるだろうとみんなワクワク。じっと先生の背中を見ている。

全部見終えた先生が口を開いた。


「うまいねえ!」

「いや〓、実にうまいよ!」

「みんな本当にうまい!」

「こりゃあうますぎる!」


うれしかった。みんな喜んだ。
僕もほめられながら(でも先生、ほめるばかりじゃなく「ここをもう少しこうすれば」みたいなこと言ってくださいよ〓)と思っていた次の瞬間。


「いや〓、うまい!ほんとうまい!」

「うまいしか言いようがない写真だよね〓」

「いや〓、うまいだけでちっとも良くないね!」


えっ?なに今の?

何が起きたかわからないまま、最初の授業は終わった。
直後に数人が前に押し寄せ「自分の写真のどこが良くないか」聞きに行ったが、笑顔の先生は何も答えなかった。


さすがにその日の授業が終わると飲みに行った。
それぞれ仕事を持ちながら通ってきている。夜間に来る人はみんな本気だ。大学を出て写真学校に来るなんて自分だけかと思ったら立教、早稲田、神大...事務のNさんに「今年は東大クラスだねえ」わけわかんないことを言われる始末。とにかく論理的に説明すれば理解ができる。
しかしなんなんだ?それじゃ「うまい写真」がいけないみたいじゃないか!
 
(※注:うまい写真がいけないわけではありません。うまい写真は、あくまでうまい写真である、ということです。)
 
 
そのときは先生の言ってることが全くわからなかった。

「うまくて何がいけないんだ?」

「先生は僕らの腕前に嫉妬してるんじゃないか?」

「あの先生の作品見たことあるけど大したことなかったぜ」

「そうそう!誰でも撮れそうな写真だったよ!」


みんな混乱した。

「うまい」写真と「いい」写真は違うの?

じゃあ「いい」写真ってなんなんだ?
 
 
 ◇ ◇ ◇ 
 
 
何回か「お題」が出て、それについて撮り、先生がいつもの「うまいねぇ〓」と言い、次に「ちっとも良くないねぇ」と言い出すループが続いた。
先生は何が良くなくてどうすればいいか、ちっとも言わない。
 
とはいえ、ヒントが無いわけじゃなかった。
 
 

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[写真論]

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